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※お断り: 当ブログ上に掲載する訳はあくまでも暫定訳であり、
出版される際にはさらに訂正・修正が加えられる可能性があります。
ブログへのリンク、内容の引用・転載については、こちらをごらん下さい。
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アレクセイ・V・ヤブロコフ、ナタリア・E・プレオブラジェンスカヤ
【要旨】
チェルノブイリ原発事故に由来する放射性核種によって重度に汚染された地域を、経済活動、人口構成、環境の点で似通った、放射能汚染度の低い地域と比較した場合、重度汚染地域において常に、総罹病率の上昇が著しい。ベラルーシ、ウクライナ、ヨーロッパ側ロシアの重度汚染地域では、病気をもつか、あるいは虚弱な新生児が多く見られるようになった。
チェルノブイリ原発事故に由来する放射性核種によって重度に汚染された地域を、経済活動、人口構成、環境の点で似通った、放射能汚染度の低い地域と比較した場合、重度汚染地域において常に、総罹病率の上昇が著しい。ベラルーシ、ウクライナ、ヨーロッパ側ロシアの重度汚染地域では、病気をもつか、あるいは虚弱な新生児が多く見られるようになった。
電離放射線が健康に及ぼす影響にしきい値はない。チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発で、大量の放射性核種がまき散らされた(詳細は第1章を参照)。自然のバックグラウンド放射線にごく微量の放射線が加わるだけで、被曝した人やその子孫の健康は遅かれ早かれ統計的に(確率的に)影響を受ける。チェルノブイリの放射線被曝による確率的影響として最初に表れたものの一つに、総罹病率の変化がある。
チェルノブイリの放射性核種によって重度に汚染された地域を、同じような民族誌、経済活動、人口構成および自然環境下にある放射能汚染度の低い地域と比較すると、あらゆる事例において、汚染度の高い地域で子どもと成人の総罹病率の上昇、および認定障害者[訳注1]の増加が認められる。この章で取り上げる罹病率のデータは、多くの同様の研究から得られた事例の一部にすぎない。
3.1. ベラルーシ
1. 重度汚染地域では、小児の総罹病率が目に見えて上昇した。これには、以前はめったに見られなかった病気の増加も含まれる(Nesterenko et al., 1993)。
2. ベラルーシ保健省のデータによれば、大惨事直前(1985年)には90%の子どもが「健康といえる状態」にあった。ところが2000年には、そのようにみなせる子どもは20%以下となり、もっとも汚染のひどいゴメリ州[ベラルーシ語でホメリ州]では、健康な子どもは10%以下になっていた(Nesterenko, 2004)。
3. ベラルーシにおける1986年以降1994年までの新生児罹病率の増加は9.5%だった。最大の上げ幅を示したのはもっともひどく汚染されたゴメリ州で(205%増)(Dzykovich et al., 1996)、おもな原因は未熟児の疾患が増えたことである。
4. 重度汚染地域では、身体の発達が阻害されている小児の数が増加した(Sharapov, 2001)。
5. 大惨事当時に新生児から4歳児までの年齢で、1平方キロメートルあたり15~40キュリー[=1平方メートルあたり55万5,000~148万ベクレル]の汚染レベルの地域に住んでいた小児において、1平方キロメートルあたり5~15キュリー[=1平方メートルあたり18万5,000~55万5,000ベクレル]の汚染レベルの地域の小児よりも有意に多くの病気が認められた(Kul’kova et al., 1996)。
6. 1993年には、ゴメリ州コルマ地区[ベラルーシ語でカルマ地区]とチェチェルスク地区 [同チャチェルスク地区]に住む(大惨事当時に0歳から4歳だった)小児のうち、健康な者はわずか9.5%だった。当時、この地域の土壌におけるセシウム137[Cs-137]の濃度は1平方キロメートルあたり5キュリー[=1平方メートルあたり18万5,000ベクレル]を超えており、この地域の小児の37%ほどがいまも慢性疾患に苦しんでいる。重度汚染地域においては、年間の疾患発生率が(16種の病気において1,000人あたり)102件から130件の割合で増加しており、低汚染地域よりもずっと高い(Gutkovsky et al., 1995; Blet’ko et al., 1995)。
7. 重度に汚染されたブレスト州ルニネェツ地区において、小児1,000人あたりの疾病発生率が、大惨事後の8年間に3.5倍も増加した。すなわち1986年から1988年は1,000人あたり166.6件、1989年から1991年は337.3件、1992年から1994年は610.7件である(Voronetsky, 1995)。
8. ブレスト州ストーリン地区の、1平方キロメートルあたり最高15キュリー[=1平方メートルあたり55万5,000ベクレル]のセシウム137に汚染された環境において胎内で被曝した小児は、10年後の主要な病気の罹病率が有意に高くなった。病気の診断は6歳から7歳で明らかになった(Sychik and Stozharov, 1999)。
9. ベラルーシ全体をみると、未熟な新生児と妊娠週数に対して小さ過ぎる胎児の発生率が、大惨事後の10年間、放射能汚染のひどい地域で顕著に高かった(Tsimlyakova and Lavrent’eva, 1996)。
10. 厳重に管理された移住義務および移住ゾーン(1平方キロメートルあたり15キュリー以上)[訳注2]から避難していた母親のもとに生まれた新生児は、統計的にみて有意に胴が長く、その一方、頭はより小さく、胸囲がより短かかった(Akulich and Gerasymovich, 1993)。
11. ゴメリ州のヴェトカ地区、ナロヴリャ地区[ベラルーシ語でナロウリャ地区]、ホイニキ地区、カリンコヴィチ地区[同カリンカヴィチ地区]およびモギリョフ州のクラスノポーリエ地区[同マヒリョウ州クラスナポッレ地区]では、重度汚染地域における流産の事例と、低体重の新生児の数が有意に多くなった(Izhevsky and Meshkov, 1998)。
12. 表3.1は、1995年から2001年にかけて、重度汚染地域と低汚染地域において二つのグループの小児を調査した結果である。小児の健康状態は、主観的判断(自覚症状)と客観的判断(臨床診断)によって得た。小児各人の観察は3年間続けられ、個々人の体内汚染はホールボディカウンター[WBC]を用いて測定した放射性核種のレベルと、鉛や他の重金属のレベルの測定によって判定した。表3.1のデータをみると、同一グループ内における放射能汚染のレベルは3年間を通じて統計的な変化はないが、重金属のレベルは、対照群で鉛が増加している以外はやや減少を示している。
表3.1. 重度汚染地域と低汚染地域の小児における
放射能および重金属による汚染(Arinchin et al., 2002)
13. 表3.2 は、小児の健康に関する自覚症状の一覧である。重度汚染地域の小児のほうが、さまざまな病気についてより頻繁に不調を訴えていることが明らかだ。重度汚染地域に住んでいる小児のグループの訴えの数は、低汚染地域の小児のそれよりも明らかに多い。3年間の観察の後、重度汚染地域でも低汚染地域でも不調の訴えの数は増加したが、調査した症状のほとんどについて、重度に汚染された地域のほうが訴えの数が多い。
表3.3のデータによれば、1回目の調査でも2回目の調査でも、重度汚染地域に住む小児と低汚染地域の小児を比べると、ほとんどすべての疾患において大きな差がある。
表3.2と表3.3は、重度汚染地域における小児の健康状態が明らかに悪化していることについて説得力のある実態を提示する。調査執筆者たちは、こうした状況を「環境不順応症候群」と定義しており、これもまた、チェルノブイリがもたらした明白な影響の一つといえるかもしれない(Gres’ and Arinchin, 2001)。
発生頻度(単位は%)(Arinchin et al., 2002)
表3.3. 表3.1および表3.2と同じ小児の
病状例と診断の発生頻度(単位は%) (Arinchin et al., 2002)
15. ベラルーシの汚染地域における第一次障害者[訳注3]の数は、1993年以降、特に1997年と1998年にかけて目立って増加した(図3.1)。
図3.1
ベラルーシの重度汚染地域(曲線1)と低汚染地域(曲線2)における、
公式に大惨事との関連が認定された第一次障害者数の推移(Sosnovskaya, 2006)
16. 認定障害者の数は、より汚染のひどいゴメリ州やモギリョフ州では国全体の数値よりもかなり高かった。認定障害者の総数はゴメリ州のほうが多かったが、モギリョフ州では一級[最重度]障害者と障害児が大半を占めていた(Kozhunov et al., 1996)。
17. 公式のデータ(『チェルノブイリ事故の医学的影響』2003)によれば、 1986年から1987年にかけて事故処理に従事したベラルーシ人リクビダートルの罹病率は、同様の年齢層の対照群より有意に高い。このリクビダートル集団の罹病率の年間増加率は、ベラルーシの成人全体の最高8倍にも上る(Antypova et al., 1997)。
18. 検査を受けた53人のリクビダートル(24歳~41歳)のうち、1990年から1991年には11人が、1993年から1998年には26人が障害者に認定され、2004年には生存していた患者全員が障害者認定を受けた(Shirokaya et al., 2010)。
19. チェルノブイリ原発事故に由来する障害者として1993年に公式認定を受けた第一次障害者は310人だったが、2006年は556人になった。第一次障害の認定理由の内訳は,循環器系疾患が54.6%、腫瘍が20.8%、内分泌系疾患が7.6%である(Cmychek et al., 2007)。
3.2. ウクライナ
1. 大惨事に続く10年間に、ウクライナにおける小児の総罹病率は6倍に増加し(TASS, 1998)、その後やや減少したが、大惨事の15年後も1986年の2.9倍だった(表3.4)。
3.2. ウクライナ
1. 大惨事に続く10年間に、ウクライナにおける小児の総罹病率は6倍に増加し(TASS, 1998)、その後やや減少したが、大惨事の15年後も1986年の2.9倍だった(表3.4)。
表3.4. ウクライナの重度汚染地域における小児(0歳〜14歳)の
疾病発生率と有病率(1,000人あたり)
(Grodzinsky, 1998; Moskalenko, 2003; Horishna, 2005)
2. ジトーミル州[ウクライナ語でジトームィル州]の汚染度の高い地域に住み続けている約1万4,500人の小児(5歳~16歳)のうち,大惨事の10年から14年後の時点において「健康といえる」小児は10.9%だった(Sorokoman, 1999)。
3. 小児の総罹病率を汚染地域と非汚染地域とで比べた場合、1988年には有意な差は認められなかったが、同じ小児のグループを1995年に比較したところ、汚染地域で罹病率が有意に高く、汚染のひどい地域では特に高かった(Baida and Zhirnosecova, 1998; Law of Ukraine, 2006)。
4. 2006年から2010年にかけて,汚染度の高い地域の子どもとリクビダートルの子どもに、第一次発症率(疾患の発症)の上昇が認められた(小児1,000人あたり1,383件から1,450件へ)。これはおもに、呼吸器や皮膚・皮下組織の疾患、先天性発達障害の増加に伴うものである(ウクライナ保健省、2011)。
5. 2008年から2010年には、消化器、神経系・内分泌系、血液・造血器の疾患の発生数が高止まりになった(ただし、発生数は24年間で2倍から2.5倍にまで増えている(ウクライナ保健省、2011)。
6. 胎内で継続的に低線量被曝を受けた子どもは出生時の体重が軽く、生後1年間により多くの病気にかかっており、身体的な発達も順調でなかった(Stepanova and Davydenko, 1995; Zakrevsky et al., 1993; Zapesochny et al., 1995; Ushakov et al., 1997; Horishna, 2005)。
7. 重度汚染地域では、1997年以降2005年までに「健康といえる」小児の数が3.2%から0.5%へと6分の1以下に減少した(Horishna, 2005)。
8. 重度汚染地域において、調査当時5歳から12歳の小児の成長が著しい遅滞を示していた(Arabskaya, 2001)。
9. 1999年、放射能汚染地域には、ウクライナにおける病児数の平均値と比べて4倍もの病気の小児がいた(Prysyazhnyuk et al., 2002)。
10. 2005年の初めに、汚染地域において認定障害をもつ小児の割合は、他の地域に住む一般集団中の小児の平均と比べて4倍以上に上っていた(Omelyanets, 2006)。
11. 2004年に、放射能汚染地域において認定障害をもつと公式に認定された252人の小児のうち、160人が先天的な奇形によるもの、47人がガンによるものだった(Law of Ukraine, 2006)。
12. 1987年から1989年にかけて、重度汚染地域の小児はホルモンおよび免疫異常を示す、さまざまな臓器系の機能障害を病んでいることが非常に多かった。これらの機能障害は、1996年までに、長期にわたって再発を繰り返す、難治性の慢性的な病理過程を呈するようになっていた(Stepanova et al., 1998)。
13. 1986年以降2003年までに、社会福祉および医療の両面で適切なプログラムが集中的に実施されたにもかかわらず、放射能の影響を受けた地域に住む「健康といえる」小児の数(割合)は3.7分の1に減少した(27.5%から7.2%へ)。また、「慢性的な病気をもつ」小児の数(割合)は、1986年から1987年にかけての8.4%から2003年の77.8%に上昇した(Stepanova, 2006a、図3.2)。同じ時期に、低汚染地域の健康な小児の数は過去20年間にわたって30%だった(Burlak et al., 2006)。
図3.2. 1987年から2003年にかけての、ウクライナの放射能の影響を受けた地域における
「健康といえる」小児の数(割合)(1) と「慢性的に病気」の小児の数(割合)(2)
(単位は%)(Stepanova, 2006a)。
14. ウクライナでは大惨事後15年目以降18年目までに、認定障害をもつ小児の数がしだいに増加し、(1,000人あたり)1987年の2.8人から2004年には4.57人になった (Stepanova, 2006a; 図3.3)。
15. 避難した子どもたちの総罹病率は、1987年から1992年にかけて1.4倍に増加した(1,000人あたり1,224件から1,665件に)。 この期間に疾患有病率は2倍以上に上昇した(1,425件から3,046件に)。汚染地域では、大惨事の前から1992年までに総罹病率が2.4倍まで増加した。同時期、ウクライナ全体における小児の罹病率も増えているが、これほど著しい増加ではない(Lukyanova et al., 1995)。この傾向は現在も継続しており、1987年は1,000人中455.4件、1990年は866.5件、1995年は1,160.9件、2000年は1,367.2件、2004年は1,422.9件となっている(Stepanova, 2006b)。
16. 大惨事後、汚染地域における「健康といえる」小児の数(割合)は目立って減少し、病気の小児の数は有意に増加した(表3.5参照)。
表3.5.
ウクライナの汚染地域における小児の健康状況
1986年〜1991年 (Luk’yanova et al., 1995)
17. 1988年から2005年にかけての年間統計によれば、「ほぼ健康」とみなせるリクビダートルの子どもの数は対照群の数分の1だった(対照群が18.6%~24.6%に対してリクビダートルの子ども群は2.6%~9.2%)。 さらに、これらリクビダートルの子どもたちは統計的に有意に背が高く、肥満していた(Kondrashova et al., 2006)。18. 放射能汚染地域の小児は身体が小さく体重も少ない(Kondrashova et al., 2006)。
19. 1988年から2002年にかけて、成人の避難者のうちの「健康な」人の割合は68%から22%に下降し、「慢性的に病気の」人の割合は32%から77%に上昇した(ウクライナ公式報告書2006)。
20. 30キロメートル圏内から避難した小児の総罹病率は、1987年以降1992年までに2倍以上に増加し、キエフ州ポレーシェ地区では2.4倍に、ジトーミル州のナロディチ地区とコロステニ地区ではそれぞれ2.0倍と1.8倍に増加した(Smolyar, Prishko, 1995)。
21. 2009年の健康状態調査において、もっとも低い数値を示したのは1987年に生まれたリクビダートルの子どもで、「健康」のグループに入ったのは1.8%にすぎなかった(ウクライナ保健省, 2011)。
22. チェルノブイリ被災者公式登録簿の1988年から2010年にかけてのデータによると、避難者のうち健康な人の割合は67.7%から21.5%に下降し、慢性疾患をかかえる人の割合は31.5%から78.5%に上昇した(ウクライナ保健省、2011)。
23. 重度汚染地域における成人と十代の少年少女の罹病率は、1987年の1,000人あたり137.2件から、2004年の573.2件へと4倍に増えた(Horishna, 2005)。
24. 汚染地域において、第一次障害の原因としてもっとも多かったのは、1991年には循環器系障害(39.0%)と中枢神経系の疾患(32.3%)だった。 2001年以降は腫瘍が最大の原因となっている (2005年は53.3%)。1992年から2005年にかけて、腫瘍による障害はほぼ6倍に増加した(表3.6)。
表3.6. チェルノブイリ大惨事と関連づけられた認定障害に至った原発疾患(単位は%)
1992〜2005年 (Ipatov et al., 2006)
25. ウクライナの公式データによると、2005年初頭の時点で認定障害がチェルノブイリ大惨事によると認定された人の数は14万8,199人である。うち3,326人が小児だった(Ipatov et al., 2006)。
26. 1988年から1997年にかけて、放射能レベルに関連する罹病率の増加は、重度汚染地域でいっそう顕著になった。1平方キロメートルあたり15キュリー以上の区域[=1平方メートルあたり55万5,000ベクレルの移住義務ゾーン]では最高4.2倍に、同5~15キュリーの区域[=同18万5,000~55万5,000ベクレルの移住権利ゾーン]では2.3倍に、同1~5キュリーの区域[=同3万7,000~18万5,000ベクレルの放射能管理強化ゾーン]では1.4倍に増えた(Prysyazhnyuk et al., 2002)。
27. 1988年から2004年にかけて、健康なリクビダートルの数は67.6%から5.3%へと12.8分の1に減った。また、慢性的な病気にかかっている者の数は12.8%から81.4%へと6.2倍に増えた(ウクライナ公式報告書 2006、 ウクライナ法 2006)。
28. 成人の避難者における非悪性疾患の有病率は、1988年から2002年にかけて4.8倍に増えた(1,000人あたり632件から3,037件へ)(図3.4)。1991~1992年度以降ずっと、これらの疾患の発生率および有病率は国の平均を上回っている(ウクライナ公式報告書2006)。
図3.4. ウクライナの成人の避難民および一般集団における
非悪性疾患の有病率、 1998〜2002年 (ウクライナ公式報告書 2006)。
29. 1988年から2002年にかけて、成人の避難者における認定障害は42倍にまで増加し、1,000人あたり4.6件から193件になった(ウクライナ公式報告書 2006)。
30. 1988年から2003年にかけて、リクビダートルにおける認定障害は76倍にまで増加し、1,000人あたり2.7人から206人になった(Buzunov et al., 2006)。
31. 1988年から1999年にかけて、汚染地域の住民における疾病発生率は2倍になった(1,000人につき621件から1,276件へ、および、同310件から746件へ)。これらの数値(パラメータ)は1993以降ずっとウクライナの平均を超えており(Prysyazhnyuk et al., 2002; ウクライナ公式報告書2006)、いまだに増え続けている(表3.7と3.8参照)。
表3.7.
ウクライナ国内においてチェルノブイリ事故の被害者を3群に分類した場合の
「健康といえる」個人の割合(単位は%)1987〜1994年 (Grodzinsky, 1998)
表3.8.
ウクライナの放射能汚染地域における罹病率(1,000人あたり)
(Grodzinsky, 1998; Law of Ukraine, 2006)
32. チェルニゴフ州[ウクライナ語でチェルニヒウ州]の重度汚染地域では、汚染度の低い地域と比べて総罹病率が有意に高い。また、州全体の総罹病率をみると、大惨事後の10年間は大惨事前の10年間より総罹病率が有意に高い(Donets, 2005)。
33. ウクライナ人リクビダートルの総罹病率は、大惨事後の10年間で3.5倍に増加した(Serdyuk and Bobyleva, 1998)。
34. 大惨事発生後の1年間における放射能汚染地域に特徴的な不調の訴えには、急速に進行する疲労(59.6%)、頭痛(65.5%)、血圧不安定(37.8%)、特異な夢(37.6%)、 そして関節痛(30.2%)などがある(Buzunov et al., 1995)。
35. 1987年以来、「病気」に分類されるリクビダートルの割合は、18%から27、34、42、57、66、75、81%へと一貫して上昇している(Grodzinsky, 1998、表3.7参照)。 大惨事後の18年間に「病気の」リクビダートルの割合が94%を超えた。2003年にはキエフ州のリクビダートルのほぼ99.9%が、スームィ州では96.5%が、ドネツク州 [ウクライナ語でドネツィク州] では96%が公式に「病気」と認定された(LIGA, 2004; Lubensky, 2004)。
36. 1987年から1994年にかけて、リクビダートルと避難民において、第一次障害者が何倍にも増加し、ウクライナの平均を超えた(表 3.9参照)。
表3.9. ウクライナにおける第一次障害者率(1,000人あたり)
1987〜1994年 (Grodzinsky, 1999)
年 リクビダートル 避難者 ウクライナ
38. 公式のデータによると、ウクライナにおいて大惨事が原因と認定された障害者の数は、1991年には200人、1997年には6万4,500人、2009年には11万827人となっている(ウクライナ保健省、2011)。
39. リクビダートルにおける認定障害者の数は1991年から急激に増加し始め、2003年までに10倍になった(図3.5参照)。
図3.5. ウクライナのリクビダートル(1986年から1987年に作業に従事)の
非悪性疾患による認定障害 1988〜2003年 (ウクライナ公式報告書 2006)。
40. リクビダートルにおける認定障害者の数がもっとも増加したのは2002年だった。2003年以降2010年にかけては、2002年までに行政当局が記録上の死亡処理を進めた影響と、認定障害者として扱われてい たリクビダートルが死亡してしまったことにより、その数は減少している(図3.6)。
図3.6.
1986〜1987年に従事したリクビダートルにおける
大惨事当時の年齢による認定障害者数の変化(1998〜2010年)
<図中のテキスト>
◇…40歳未満 ■…40歳以上 ▲…全体
3.3. ロシア
1. ヨーロッパ側ロシアのチェルノブイリ地域における「住民の健康状態」の全般的指標(認定障害と罹病の総計)は、大惨事後の10年間で最高3倍にまで悪化した(Tsyb, 1996)。
2. 放射能汚染地域の小児は「クリーンな」地域の小児よりはるかに病気にかかりやすい。罹病率における最大の違いは、「症状、徴候、正確な病名がつけられない」と記述された病気の部類に表れている(Kulakov et al., 1997)。
3. ブリャンスク州南西部の各地区(セシウム137による汚染が1平方キロメートルあたり5キュリー以上)に住む小児における、登録された全疾患の1995年から1998年にかけての年間有病率は、ロシア全体の水準ばかりか州全体の水準の1.5倍から3.3倍だった(Fetysov, 1999; Kuiyshev et al., 2001)。 同じ地区に住む小児の罹病率は、2004年になっても州平均の倍だった(Sergeeva et al., 2005)。
4. 大惨事の15年後、カルーガ州の汚染地域に住む小児の罹病率が目立って高かった(Ignatov et al., 2001)。
5. 1981年から2000年までの期間を5年ごとに区切って、初めて病気と診断された小児の年平均数をみると、大惨事後の10年間は増加を示した(表3.10参照)。
表3.10. カルーガ州の汚染地域で初めて病気と診断された小児の
罹病率(1,000人あたり)1981〜2000年 (Tsyb et al., 2006)
6. ブリャンスク州のうち汚染のひどいクリンツィ地区とノヴォズィブコフ地区において、流産の発生率がより高く、低体重の新生児数が多かった(Izhevsky and Meshkov, 1998)。
7. 放射能汚染地域では新生児の43%以上が低体重だった。そのため、同じ地域において病気の子どもが生まれるリスクは対照群の2倍となり、その差は、66.4 ± 4.3%に対して対照群 31.8 ± 2.8%である(Lyaginskaya et al., 2002)。
8. 1998年から1999年にかけての全ブリャンスク州における小児の認定障害をみると、もっとも汚染された3地区で州平均の2倍となり、その差は1,000人あたり352人対州全体の平均174人だった(ロシアの平均は161人。Komogortseva, 2006)。
9. セシウム137による汚染が1平方キロメートルあたり5キュリー以上の地区における、1995年から1998年にかけての成人の総罹病率は、ブリャンスク州全体よりも顕著に高かった(Fetysov, 1999; Kukishev et al., 2001)。
10. 大惨事当時「30歳以下」だったロシア人リクビダートル(調査対象は3,882人)における総罹病率は、その後の15年間で3倍に増加した。また、「31歳から40歳」群における疾病発生率は大惨事の8年後から9年後に最大となった(Karamullin et al., 2004)。
11. リクビダートルの罹病率は、それ以外のロシアの一般集団を上回っている(Byryukov et al., 2001)。
12. ブリャンスク州のリクビダートルにおける総罹病率は1995年から1998年にかけて上昇傾向にあり、1,000人あたり1,506件から2,140件になった(Fetysov, 1999)。
13. ロシアのリクビダートルのほとんどは若い男性で、もとはみな健康だった。しかし、大惨事後5年以内に30%が公式に「病気」と認定された。さらに、10年後には「健康」と見なされる者は9%以下になり、16年後に「健康」だったのはわずか2%だった(表 3.11)。
表3.11.
ロシア人リクビダートルの健康状態:公式に「病気」と認定された人
の割合(Ivanov et al., 2004; Prybylova et al., 2004)
14. 大惨事の14年後に、トムスク州に住む83人のリクビダートルを検査したところ、全身の不調と、心臓循環器系、呼吸器系、消化器系、筋骨格系、泌尿器系など、加齢とともに表れる一般的な病気が確実に増加していることが認められた。うち4分の3以上が慢性疾患に苦しみ、リクビダートル一人あたり平均8つの病気にかかっていた(Porovsky et al., 2006b)。
15. トムスク州に居住するリクビダートルが患う病気の数は、1993年に比べて17倍以上に増加している(1993年にはリクビダートル1,000人あたり328.9件だったが、2004年には5,329.7件になった)。同州の住民全体の平均値(1,000人あたり1,200件~1,800件)の3倍にあたる。疾患の内訳は、神経系が11倍、消化器系が8倍、内分泌系、筋骨格系、循環器系が4、5倍、精神障害と呼吸器系が3倍、州全体の平均値よりそれぞれ高い。また、近年では軽度の機能障害より慢性疾患が増えている。上位を占めるのは消化器系(19%)、筋骨格系(16~18%)、循環器系(16~17%)、呼吸器系(15~18%)の病気である。同時に、神経系(13~15%)や内分泌系(4~5%)の障害も多く、精神病(5~7%)の割合も高い。悪性腫瘍も増加している(Krayushina et al., 2006)。
16. トムスク州のリクビダートルにおける第一次障害者の認定数は、1993年以降2004年まででは1997年がもっとも多かった(1万人あたり1,206.2人に対して州平均は56.4人)(Krayushina et al., 2006)。リクビダートルの障害者認定率は、いずれの年も州の平均値を5倍から10倍も(1997年には21倍も)上回っていた(2004年にはトムスク州のリクビダートル316人のうち約40%が認定障害者だった)。認定障害者となった理由の第1位は神経系と感覚器の疾患(28.2%)で、第2位は循環器系の疾患(24.1%)、第3位は精神障害(23.2%)である(Krayushina et. al., 2006)。
17. 1991年以降2005年までに、ロストフ州で第一次障害者と認定されたリクビダートルは6,104人で(年平均407人)、おもに若い男性である。第一次障害の認定理由は、全期間を通じて循環器系(70.2%)、消化器系(9.1%)、呼吸器系(7.5%)、内分泌系(5.9%)の疾患と悪性腫瘍(3.2%)であり、連邦平均や地方平均との差は顕著である(Abazieva, 2007)。
18. ノヴォモスコフスク市ザレーシェ地区に居住する、1986年から1988年に作業に従事したリクビダートルの100家族と、大惨事後15年間同地区に住んでいたリクビダートルでない100家族を包括的に経過観察したデータを比較したところ、一連の指標において際立った差が見られた(表3.12)。
表3.12. ノヴォモスコフスク市ザレーシェ地区居住の
1986年から1988年に従事したリクビダートル100家族と、
大惨事後15年間同地区に住んでいたリクビダートルでない100家族における
包括的な経過観察の結果(Gerasimova, 2006)
指標 リクビダートルの家族 対照グループ
受診数 2.14 1.18
医療検査数 1.8 1.17
健診数 1.79 0.04
入院数 0.12 0.03
慢性疾患の平均数 6.2(配偶者2.1) 1.1(1.6)
表3.12のデータ分析においては、ノヴォモスコフスク市(トゥーラ州)全体が,セシウム137によって1平方メートルあたり3万7,000~18万5,000ベクレル[=1平方キロメートルあたり1~5キュリー]に汚染された地域であることを考慮する必要がある。
19. ロシア軍人登録のデータによると、40歳から50歳のリクビダートルにおいて、循環器系、内分泌系、神経系、感覚器、消化器系、泌尿器系、筋骨格系、結合組織における病気の発生率がいずれも非常に高い(Karamullin et al., 2006a)。
20. ロシアのリクビダートルにおける1993年から1996年にかけての総罹病率は、対照群の1.5倍だった(Kudryashov, 2001; Ivanov et al., 2004)。
21. リクビダートル一人ひとりが診断される疾患数は増え続けている。すなわち、1991年までにリクビダートル各人は平均2.8件の疾患をかかえていたが、1995年にはそれが3.5件になり、1999年には5.0件の疾患数となった(Lyubchenko and Agal’tsov, 2001; Lyubchenko, 2001)。
22. リクビダートルにおける認定障害は大惨事の2年後から目立ち始め 、やがて劇的に増加した(表 3.13)。
表3.13.
算定された被曝線量別に見たリクビダートルの認定障害者率、
1990〜1993年(1,000人あたり、Ryabzev, 1998)
23. リクビダートルにおける認定障害者の割合が、1995年には対照群の3倍になり(ロシア安全保障委員会, 2002)、1998年には4倍になった(Romamenkova, 1998)。大惨事から15年ほどで、ロシア人リクビダートルの27%が、平均年齢48歳から49歳で認定障害者となった(ロシア公式報告書2001)。2004年までには、まだ労働年齢にある全リクビダートルのうち64.7%もが障害者に認定された(Zubovsky and Tararukhina, 2007)。
3.4. その他の国々
1. フィンランド: 大惨事後すぐに未熟児の出生数が増加した(Harjulehto et al., 1989)。
2. 英国: チェルノブイリの放射性降下物にもっともひどく汚染された地域の一つであるウェールズでは、1986年から1987年にかけて異常に体重の少ない新生児出生率が記録された(出生時の体重1,500グラム以下。図3.7)。
図3.7. ウェールズにおいて、1983年から1992年にかけて生まれた
出生時の体重が1,500グラム以下の新生児の割合(上の線)と、
土壌中のストロンチウム90のレベル(下の線)(Busby, 1995)。
3. ハンガリー: 1986年5月から6月にかけて生まれた新生児において、低体重の例が有意に多かった(Wals and Dolk, 1990)。
4. リトアニア[訳注6]: (生存していた1,808人の)リクビダートルのうち、チェルノブイリでの作業時の年齢が45歳から54歳だった者はひときわ罹病率が高かった(Burokaite, 2002)。
5. スウェーデン: 1986年7月には出生時の体重の少ない新生児が有意に多かった(Ericson and Kallen, 1994)
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チェルノブイリの放射性降下物によって重度に汚染された地域では総罹病率が有意に上昇し、リクビダートルや、被曝線量の多かった人びとにおける障害率が、被曝しなかった一般集団や対照群より高くなったことは明らかである。たしかに、チェルノブイリ大惨事の影響とこれらの数字を直接結びつける証拠はない。しかし、問われるべきは次のことだ。放射能汚染のレベルが上昇したまさに同じ時期に病気と障害が増加した原因がチェルノブイリ事故にないとすれば、ほかの何によって説明できるだろう。
IAEA[国際原子力機関]とWHO[世界保健機関]は、こうした罹病率の上昇について、社会的、経済的、心理的要因による部分もあると(2006年のチェルノブイリ・フォーラムで)示唆した。しかし、比較した集団が社会的かつ経済的状況、自然環境、年齢構成その他において等しく、違うのはチェルノブイリの放射能汚染に曝されたかどうかだけである以上、社会経済的要素はその理由にはなりえない。オッカムの剃刀[訳注7]、ミルの規範[訳注8]、ブラッドフォード・ヒルの基準[訳注9]といった科学的規範に照らせば、われわれはチェルノブイリ大惨事による放射能汚染以外にこれほどの規模の病気の発生を説明する、いかなる理由も見出すことはできない。
<訳注>
1. 認定障害:disability (invalidism)とは、「障害があると公式に認定され、社会的支援を受けている状態」であり、本書では「認定障害」「障害と認定される」等と訳す。『チェルノブイリ事故に よる放射能災害』(今中哲二編 )では、「疾病障害」と訳され、「身体障害や病弱のため通常の労働に従事できないと認定された人々で、重篤な順に第I度から第III度に分類される」と定義されている(p.193)。同書ではこの言葉が成人に対して使われているのに対し、本書の原著では 成人にも子どもにも使われているため、著者および監修者と相談の上、「認定障害」と訳すこととする。
2. 厳重に管理された移住義務および移住ゾーン: ベラルーシの汚染地域は、放射能汚染濃度と年被曝線量の基準にしたがい次の4つに区分けされている。(1) 移住義務(第1次移住)ゾーン:セシウムの土壌汚染密度は1平方メートルあたり148万ベクレル以上、年間推定被曝量は5ミリシーベルト以上 (2) 移住(第2次移住)ゾーン:同55万5,000〜148万ベクレル 、年間推定被曝量は5ミリシーベルトを超える可能性 (3) 移住権利ゾーン:同18万5,000〜55万5,000ベクレル、1ミリシーベルトを超える可能性 (4) 定期的放射能管理ゾーン:3万7,000〜18万5,000ベクレル、1ミリシーベルト以下。したがってここでは (1) と (2) を指している。
3. 第一次障害者:その年に初めて認定された障害者
4. 健康状態グループ:その健康状態によって、4つに分けられる。第1度は健康な子ども、 第2度は少しでも健康に問題がある子ども、第3度は疾患がある子ども、第4度は重篤な慢性疾患が認められる子ども。
5. 9.6:出典 Grodzinsky(1998)(http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/reports/kr21/kr21pdf/Grodzinsky.pdf p.24 table13)で、1987年の Participants of the liquidation of the Chernobyl accident consequences が1万人あたり「9.6」 となっているが、本著原著者の確認により、これは「96」の誤記である。
6. リトアニア:チェルノブイリ事故当時はソ連邦の一部。
7. オッカムの剃刀:哲学者のオッカムが述べた「ある事柄を説明するために必要以上に多くの実体を仮定すべきでない」とする指針。統計学などの分野で利用される。
8. ミルの規範:哲学者のジョン・スチュワート・ミルが『論理学大系』で述べた帰納法。因果関係の問題の解明を意図する。
9. ブラッドフォード・ヒルの基準:疫学者のブラッド・ヒルが述べた因果関係解明のための9つの基準。